手紙を書くことにしました
学生時代にお世話になった教授が昇進されると聞き、久しぶりに手紙を書くことにしました。
メール一通で済ませるのも味気ない。「ここはひとつ、直筆の便箋で、一人前の大人の姿をお見せしよう」と、意気揚々とボールペンを握ります。
ところが、山場はすぐにやってきました。恩師への感謝に欠かせない定型句、「ご指導ご鞭撻(べんたつ)」の文字です。
画面上では何度も目にし、キーボードなら一瞬で変換できるこの言葉。いざ書こうとすると、もはや文字というより、精巧な幾何学模様か何かの呪文にしか見えません。
頭の中の漢字ライブラリは完全に沈黙しました。
結局、私はデスクの隅にスマホを置き、検索画面を最大までピンチアウト。表示された複雑な線を一画ずつ、息を止めるようにして紙に写し始めました。
それはもはや「執筆」という情緒あるものではありません。画面の光を頼りに、未知の記号を模写する「トレース作業」です。
さらに情けないことに、二枚目の途中で右手がぷるぷると震え始めました。
普段、マウスとキーボードという「撫でるような操作」しかしていない筋肉は、たった数百文字の筆圧にすら耐えられず、悲鳴をあげたのです。
ポストに入れたのは、スマホを凝視して必死にトレースし、最後は指の疲労でよろよろになった文字の羅列。
「デジタルを使いこなす大人」を気取っていた脳内OSが、いかに退化していたかを痛感する時間となりました。
寄り道ノート
効率化を極めた現代において、「漢字を忘れる」ことは、ある意味で私たちがテクノロジーと上手く共生している証拠かもしれません。
でも、スマホを横に置いて必死に「トレース」したその時間は、決して無駄ではないはずです。一瞬で変換される完璧なフォントよりも、指を震わせ、脳をフル回転させて絞り出した不格好な文字の方が、受け取った相手には「書いている時のあなたの体温」が伝わるのではないでしょうか。
次に「あれ、どう書くんだっけ?」と手が止まったら、それはデジタルで加速しすぎた自分を、少しだけ人間に引き戻すための「心地よいブレーキ」だと思ってみるのもいいかもしれません。

